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「徳さんが、――今、そこに、おかみさんが来てるんですわ」
「なあに、後から来るのんはほんの擦かすり傷みたいなもんやから、大事ありません。――時にせんせい、何んぼ差上げたらえゝでせう?」
と、盛子は大げさに滑稽な顔をしてみせた。
鍵屋の隠居神原直造は老来なほ矍鑠と云つた様子だつた。
と、大声で云ひ聞かせた。
男はじろじろと房一を見ていた。
「それは、せんせいのお考へに任せますわ。――ですが、今日のことは、ほんの内輪の間違ひやさかい、そのことは含んどいてもらはんと困ります。よろしいな。――内輪のことや」
「いや、そのうち。――ぜひ御相談があるんですが。――そのうち、一度来ていたゞいて。いや、私の方から出かけませう。や、又――」
威勢よくやつて、相手にされると腰を落ちつけて、人の好さがまる出しになつて、大声で喋りまくる。と云つても、彼自身には何の話の種もないので、多くは人の相槌を打つたり、今他人から聞いた通りのことを彼の声音で何か別の話のやうに見せながら話すだけなのである。
房一は刃物で突く恰好をしてみせた。
「居なくたつて訴訟はいくらでもできらあね」
「なにぶん山の中でございますから、折々にこんなことがございます。」
徳次も笑顔になつていた。だが、それは甚だ不器用なもので、絶えず紅らんだり力んだりしながら、眩しげに房一を見たかと思ふと、又当惑したやうな顔になるのであつた。